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守口漬・奈良漬「喜多福」本店~10周年企画~

2016.11.30(06:00)
守口漬 喜多福 中央区 湊 東京

名古屋由来で10年前から東京にお店を持ち、コノ10年間で展開されながら採り上げるタイミングを逃し気になっていたお店が3ブランド。

最終回は守口漬の「喜多福」です。



納屋橋まんじゅう・ういろう・守口漬。

私の記憶にも残る昭和の高度成長期。

コノ3品が名古屋土産の定番でした。

今回は、60-70年代の高度成長期のはるか前、なんと、戦前の昭和5(1930)年に東京へ進出したといわれる守口漬の嚆矢「喜多福」の、2015年にリニューアルされた本店(東京)へ中央区湊二丁目を訪れます。

安藤与吉商店 喜多福 東京中央区湊

お店に到着

入店し、目的の守口漬を見せてもらいましたが一本物でしたので、今回は味醂奈良漬に添えらるもので我慢します。

そうそう、店内には「喜多福」から暖簾分けされた「松喜屋」の、開店当時と思われる写真が飾ってありました!

購入し持ち帰り、久しぶりに頂く守口漬。

子供のころは「これがうまいか?」と思ったものですが、今はすこぶる美味しく感じます。

個人的には、ほうじ茶と合わせると絶品です。

歳はとってみるものです。

本店は中央区でも少し行きにくいところにありますが、「喜多福」は松屋銀座内にも支店があり、すぐリピートしたくなるような美味でした。

右側の3切れが守口漬 喜多福 東京
=右下の色違い3切れが守口漬

「喜多福」は明治14(1881)年、山田才吉によって現在の名古屋市中区・本町通の栄三丁目(末広町若宮八幡西)で創業します。

その山田才吉は岐阜のご出身。

もともとは料理人で、考案した守口大根味醂粕漬(守口漬)と軍用缶詰で一代財を成し、明治期を代表する名古屋の大実業家であります。

筆者が知っている限り今も、名古屋市中区栄の東陽通、港区の竜宮町、東海市の聚楽園に地名などその由来を残します。

多業種に進出した山田才吉は大正3(1914)年、実質的に「喜多福」を支えてきた同郷の大番頭安藤与吉に暖簾分けを許します。

一字受け継ぎ暖簾分けされた安藤与吉の店「松喜屋」は、現在の名古屋市中区栄一丁目の広小路通沿いに店を構えました。(これがお店にある写真

大正15・昭和元(1926)年、山田才吉は聚楽園・大仏建立資金等ねん出のため、安藤与吉に「喜多福」屋号など一式の買い取りを依頼し、安藤与吉は快く応じます。

この為、閉店する山田才吉「喜多福」・末広町のお店から、漬物石などが買い取った安藤与吉「喜多福」(松喜屋改)の中村区の倉庫へ運ばれたそうです。

その安藤与吉「喜多福」が昭和5(1930)年に東京進出したお店が、現在の東京・湊「喜多福」と考えられます。

名古屋に残る「喜多福総本家」も、近年まで栄一丁目の広小路通り沿いにお店がありましたので、安藤与吉「喜多福」であるはずです。

現在名古屋は「喜多福総本家」、東京は「安藤与吉商店」という会社名となっています。

お店でちょっと確認してみました。

両「喜多福」の関係、経営がどうかまで伺いませんでしたが、現在でも普通に交流があるそうです。

<東京で名古屋めし!10周年企画>~めぐる歴史と季節の中で~

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